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2013年1月29日から配信されたラジオ日本の『水道橋博士のラジカントロプス2.0』で、水道橋博士が師匠のビートたけし(北野武)の息子、北野篤(きたのあつし)さんについて語っていた。北野篤さんが子供の頃から知っているという水道橋博士の愛情が伝わるエピソードです。 | ![]() |
■会話をしている人
水道橋博士(お笑い芸人 / 浅草キッド)
植竹公和(放送作家 / 渡辺正行と共同で渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で新人コント大会を主催している。)
補足:『水道橋博士のラジカントロプス2.0』について。
『水道橋博士のラジカントロプス2.0』は水道橋博士がブログで書き記した文章を紹介して、植竹さんが博士に質問していくという内容です。ですから、冒頭で植竹さんが博士のブログを読みあげています。
植竹 15時半、赤坂へ。『水道橋博士のメルマ旬報』編集会議。殿のご長男、篤くんが会議室へ。昼間に殿に会い、夕方、息子さんに会う。「今日、お父さんに会ったよ!」「へ~何処でですか?」「ラジオビバリー昼ズで5年ぶりの共演!」「へ~そうですか。実は今日、僕と父の本が出来上がったんですよ!」そして机の上に絵本を広げる。北野武『ほしのはなし (単行本)
植竹 息子さんの話・・っていうか実物見たことねぇーんだけど。
博士 あーそうですか。今、博報堂にいるんですよ。
植竹 えっ! こ、代理店の方?
博士 そうです。しかもあのー、こー、中途入社ですけどね。だからすごくー、10代20代、僕、10代、子供の頃から知ってるんですけどね
植竹 うん!
博士 で、割とこー、自分と境遇が似てんなと思って。引きこもっている感じぃ、とかね。
植竹 そうだったの!
博士 ええ
植竹 フフフ(笑)
博士 そりゃアレだけ大スターの息子でね、そりゃやっぱ自己表現というか思春期は難しいですよ
植竹 あのー、顔立ちって似てんですか?
博士 そっくりですね(笑)
植竹 そっくりなの!
博士 ええ
植竹 背とかどお?
博士 うーぁ痩せてますけどね。ええ。
植竹 へぇーーー。
博士 なんかそういうーー、照れ屋みたいなシャイなところ、みたいなところがやっぱ強く出るじゃないですか思春期ってのは
植竹 うんうんうん
博士 だからそういう意味ではそうやって就職して仕事して、しかもメルマぁー、メルマガ担当だって聞いてたんですよ
植竹 えっ!息子さんが!?
博士 そうなんですよ。だから僕がメルマガをやっている理由ってのは、そのー、武さんの息子さんと仕事をしたいから、色んなところからメルマガの話はあったけども、この博報堂の、えー、ケトルのところから
植竹 あ、ケトルかぁ(注:株式会社博報堂ケトル)
博士 で、そこでやりたかったからやっているんですね。それは夢を叶えているんですよ。
植竹 えー!すごいねぇ。
博士 若(わか)に尽くたいって
植竹 なるほど若ね!(笑)。ははぁー。
博士 で、やってたのはマキタスポーツとプチ鹿島とかのメルマガなんですよ
植竹 おお
博士 で、2人とも『部数が行かないんですよ』とかって言っているから
植竹 うんうん
博士 それはこう『若に恥をかかせてはならない!』と思っている訳ですよ。
植竹 うんうんうんうん
博士 『俺が行ったら全然やりますよ!』っていう意気込みもまたスゴイ訳ですよ
植竹 うん
博士 うー、2人のメルマガは面白いんですよ?面白いけど、もっとトンデモナイことが出来るって自分の中では思っていますから
植竹 うん
博士 で、『篤くんを男にしてやる!』っていう意気込みで行っているんですけど、いかんせん篤くんはメチャクチャ仕事してんですよ
植竹 ほう
博士 だから僕はものすごく閑職にいると思ったんですよ。
植竹 はははははぁー。
博士 もうメルマガを出すしかない、みたいな所でぇ、あのー、もう暇で、しかもそのー、売上がないんだと思ってたらバンバン仕事してんですよ!
植竹 へぇー!
博士 編集会議ほとんど来ないくらいです
植竹 へぇー!
博士 それはそれでメチャクチャ嬉しいですけどね。
植竹 はぁー
博士 『あぁちゃんと仕事する男になったなぁ』っていう。『成人したなぁ』っていう。もう30超えてんですけどね。
植竹 親子に2代に、つまり江戸時代の将軍の爺だね。
博士 そうそうそうそう
植竹 爺が・・
博士 いやでもアレですよ。全然オレが思っているより全然仕事はしているってことですけどね。
植竹 なるほど。
博士 ええ。だけどアレですよ。だからぁ、そこでやってるメルマガってのは1回20万字。まい、えー、2週間に1回本が一冊出るっていうペースで作っているんですよ。
植竹 結局編集長ってことでしょ?
博士 結局編集長やってます。
植竹 で、人選してぇ
博士 今20大連載ですよ。20人。
と話していた。
補足:水道橋博士のメルマガ「水道橋博士のメルマ旬報」について。
お笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士が著者兼編集長を務める有料メールマガジン。広告代理店の博報堂が運営する「BOOK STANDプレミアム」より月2回(毎月10日/25日)発行されている。月額500円。1回の配信で20万字にも及ぶ圧倒的なボリュームから『大人のコロコロコミック』『子どもの文藝春秋』と自称している。回を追うごとに増えている豪華執筆陣は以下の通り。
水道橋博士(お笑い芸人・浅草キッド)、園子温(映画監督)、西野亮廣(お笑い芸人・キングコング)、酒井若菜(女優・エッセイスト)、山口隆(ミュージシャン・サンボマスター)、松原隆一郎(経済学者・東京大学大学院教授)、岡村靖幸(ミュージシャン・音楽プロデューサー)、伊賀大介(スタイリスト・麻生久美子の旦那)、西寺郷太(ミュージシャン・ノーナリ―ブス)、樋口毅宏(小説家・編集者)、坂口恭平(建築家・作家・絵描き)、谷川貞治(元K-1プロデューサー)、茂田浩司(フリーライター)、杉江松恋(文芸評論家・書評家)、柴尾英令(ゲームクリエーター)、九龍ジョー(ライター・編集者)、高橋ヨシキ(アートディレクター)、てれびのスキマ(お笑いウォッチャー・ブロガー)、金太郎師匠、碇本学(ライター)、マキタスポーツ(お笑い芸人)、プチ鹿島(お笑い芸人)、木村綾子(小説家・エッセイスト)、荒井カオル、…など。
編集長の水道橋博士曰く「すべて読むのは無理。好きな人の部分だけ読んでくれればと思う」。
http://www.webdoku.jp/premium/merumaga/page/s_hakase.html
2011年12月27日に配信されたTBSラジオの「JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD」のポッドキャストに、とんねるずの石橋貴明さんがゲスト出演していた。そこで石橋貴明さんが大先輩のビートたけしさんやタモリさんについて語っていた。なんでも、とんねるず結成以前の素人時代からビートたけしさんやタモリさんから目を掛けてもらっていたそうで・・。 |
■会話をしている人
石橋貴明(とんねるず)
設楽統(バナナマン)
日村勇紀(バナナマン)
伊達みきお(サンドウィッチマン)
富澤たけし(サンドウィッチマン)
大地洋輔(ダイノジ)
設楽 ちょっといいっすか、質問して?タカさんを見ていると、すげー大物の人とかと絡んでてもビビッてないっつーかガンガン行くじゃないっすか。俺とかはスゲー人と一緒になるとビビっちゃうんすよね
日村 うん、ビビっちゃうよね。
設楽 その対等に行く感じっていったらとんねるずさんって昔から役者さんだろうが歌手だろうが・・
伊達 うん、どっちかつったら上から行ってたもん
石橋 いやぁー、でもダメよ。この間、たけしさんとやって・・・無理よね
日村 いやガンガンじゃないっすか
石橋 だって19くらいの時に、素人で『ビックリハウス』だったっけなぁ。雑誌で。パルコ劇場で『エビゾリングショー』っていうのをやった時に・・・
一同 アハハハハ(笑)
設楽 エビゾリングショー!?
石橋 たけしさんがガンガン来ている時に審査員で、竹中直人さんが出て俺が出て、そして竹中さんが優勝で俺が準優勝で、ノリタケに『ちょっと来ない?』ってあいつが飛び入りして特別賞を貰って…それが、俺初めて、たけしさんと会ったの
設楽 はい
石橋 俺らは素人だったんだけど、それから半年後くらいにお笑いスタタンにでて『じゃぁプロになってやろう』って、それくらいの時に新宿の飲み屋でバッタリ会ったことがあって
一同 えぇーー!
設楽 すげーな
石橋 そしたら、もう半年だか一年くらい経ってたんだけど、たけしさんにいきなり呼ばれて『お前らよぅ、パルコ劇場に出てた奴らだよなぁ?』つって
設楽 覚えていてくれたんすね
石橋 『がんばれよ!』、『いや、ありがとうございます!』って。こんな素人を覚えているんだ!って。いや参った!と思って
設楽 うん
石橋 やっぱたけしさんって俺らの中ではあの時の『がんばれよ!』ってのが強力にあんのよ。
一同 あー、なるほど
石橋 それがずっとあるから、もう敵わないね。
設楽 あぁーー
石橋 やっぱ俺らん中ではお笑いスター誕生にでた時のタモリさんとか、タモリさんと赤塚不二夫さんだけが妙に評価してくれて。別にプロになろうとして出たわけじゃないのに『お前ら面白いよ』って言われて『そっか、じゃぁやってみるかノリタケ』みたいな感じで。だからタモさんもやっぱダメだし、たけしさんもダメだし・・
設楽 その記憶がまんま残っているんですね
石橋 残ってるよ。そりゃ強力だよね。19、20の時にギュ!って何か焼印を押された感じ
一同 へぇー!!
石橋 会うとフィードバックするから、全然もう(笑)バランバランになっちゃうんだよ(笑)
伊達 30年経ったり、今の地位にいっても?
石橋 うん。全然、バランバラン。お話にならない。なんか全然わかんないもん、自分で。なんで出来ないんだろう?って。
一同 えぇーー!
伊達 そんな風になるんですかぁ
石橋 なるよ。でも何か…自分の中ではこれがなくなっちゃうとダメだなみたいな思いもあるし、やっぱ小心者でダメだなって思うこともあるしね。
一同 へぇー
設楽 そんな一面を知らないから・・。すげー、いい話っすね。
と話していた。
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- ジャンル : テレビ・ラジオ
- テーマ : TBS JUNK 関連
2009年8月21日(金)に放送されたラジオ日本の「水道橋博士のラジカントロプス2.0」において浅草キッドの水道橋博士さんがダウンタウンの松本人志さんについて語っていた。同年代のお笑い芸人として松本人志さんを横から見続けていた水道橋博士さんが考える松本人志論は特筆すべきものがあります。お笑い好きは必見です。 | ![]() |
■会話をしている人物
水道橋博士 (お笑い芸人 / 浅草キッド)
植竹公和 (放送作家)
植竹 続きましてね、松本人志論、行きます。あのー、まずダウンタウンの漫才ってのを初めて見た時、率直にどう思いました?
博士 例えば、たけしさんやさんまさんやタモリさんっていうのは、僕らの世代で言えば王・長嶋・金田みたいに見えると思うの。芸能界に入った時に。
植竹 うん
博士 あーもう、これは大スターであり敵いようがないと委縮すると思うんだけど・・。ダウンタウンって今で言うイチローを見るような感じ・・
植竹 あー
博士 ・・が、確実にあった。
植竹 はぁー
博士 だから、そのー、『ガキの使いやあらへんで』を・・・ってか俺こういう話も一切したことないのは40歳までダウンタウンからの、の番組からの仕事ってのは全部断ってたの。
植竹 へぇー
博士 それは、何回か仕事の依頼はあったけども、その、臣は二君に事えず(注:忠臣は二君に事えず/忠臣はいったん主君を定めたなら心を変えて他の主君に仕えたりはしない。)みたいな気持ちがあって
植竹 ふふ(笑)あんあんあんあん
博士 ホントに・・
植竹 操を守ってた
博士 うん。ホントに凄いと思っているから、こそ、そこで奉仕してはならないっていう気持ちがあるからその仕事は受けないって感じだったけど、もう40歳過ぎて、それこそ30代くらいで自分はその、シーザー(注:カエサル/古代ローマ皇帝)じゃないみたいなところで降りている気持ちはあるし、凄いことは凄いんだってことを言いたい気持ちもあったから、これはもうオープンにするようにしたんだけど
植竹 やっぱ竹中労(注:問題作を数多く世に送り出し気鋭のルポライター)だなぁ。ルポライター気質だなぁ(笑)。うんうんうん。
博士 でもね、ホントにダウンタウンが売れて、売れだした頃に、その、たけしさんが『今ダウンタウンって凄いのか?』って飲みの席で言った時に、このー、取り巻きの人たちがみんな『いやぁ全然、全部たけしさんのモノマネですよ。』みたいなのをこう言っているのを聞いていると『全然違うよ』ってホントにもう、もう叫んでましたね。
植竹 あの僕も1989年にラママのスペシャルってのをやったんですよ。池袋の、池袋のサンシャイン劇場で。
博士 うん
植竹 で、ゲストにダウンタウン、と今田耕司、東野
博士 うん
植竹 を呼んだんですが、いやぁそん時に見た漫才ってのが今まで見たことがない漫才・・・なんか宇宙人襲来みたいなさ(笑)。すごいショックを受けました。でセンスがさ、ちょっとー、大阪じゃないですよ
博士 うん
植竹 ね?だけど、あの浜ちゃんがベタにバンと突っ込むから割と分かりやすくベタに見えるんだけど、やっていることはホント パルコ劇場でやっているような。・・結構都会的な発想のネタだよね、アレ。都会的っていうか・・
博士 何かね、範疇(はんちゅう)が・・・その後ダウンタウンが作るコントとか見ても、そのー、20年掛かっても誰も追いついていない感じがするんですよ。
植竹 あーそっか。
博士 そのー、まぁ今まで発表してきた週間単位であの、フジテレビでやってたやつなんかと比べても
植竹 うんうんうん
博士 他のコント番組でもアレを超えているものは無いって思うし、グラフで言えば波線がある
植竹 うん
博士 ちょっと飛び抜けている感じ?
植竹 うんうん
博士 ・・が自分の中には常にあってね。・・それ、マッスル坂井っていうプロレスラーで、その劇作家みたいな才能のある人がいるんだけど
植竹 はいはい
博士 その人がバラエティに出た時、『バラエティってのは強い奴が笑わせるんだ。』っていう感覚を言うんです。
植竹 ほー
博士 それはパワーオブバランスで強い奴が笑わせるっていう感覚ってのはバラエティに出ている人なら誰にでも有ると思うの
植竹 うん
博士 たけしさんが話せば笑わなければならない、っていう、感じ?
植竹 あぁー、あるね、あるね。
博士 もあるし、それがホントは強さなんだよっていうのは・・・ってか、笑いってのは面白さじゃなくて強さなんだよっていうのはテレビの世界に絶対的なルールで有るんだけどあまり語られないんですよ。
植竹 うんうんうん
博士 だけどダウンタウンも純粋に、新人の時から、それは積み重ねのキャリアの中で強さって重ねていくんだけど、もう一年目の時からホントに強いんですよ。
植竹 強いよね
博士 見てて、その。・・・自分が『ガキ使』を見だして、最初のうち漫才をやりだして、そっからフリートークに変えて数週経った時、もうこれ桁違いだと思った。
植竹 うーん
博士 もう全然。全然もうコレ敵う訳がない。・・・だからこそ自分の中で漫才をやる時には入念に書き込んだものをやり、テレビに出た時にはそういう・・なんだろ。うーん、猛獣使いみたいな役割をやろう、みたいなことで。その・・・例えばそのマッスル坂井ってのは汁レスラーを使って、弱いレスラーを使って演劇的な展開をするんだけど、
植竹 おお
博士 弱いことを前提に、その、劇を、プロレスを創っていく、劇空間を創っていくのね。
植竹 ほうほうほう
博士 だからダウンタウンなんかを見ると、自分の、このポジションとしてやるべきことって何かってのを、ほ、本当に強いよこの人って分かっちゃうんだよね。
植竹 うん
博士 その、イチローであることって、モノが違うよこの人
植竹 孤立しているよね、完全に。
博士 うん。もう違う。松本人志は全然メジャーリーグであり・・そのなんか、よく、あの才能を過剰に褒められている説みたいなの、常にあるけど全然俺、見合わないよって思いますもん。
植竹 あのー、さっき言いましたように、たけしさんのDNAってのがさ、博士とか太田くん(注:爆笑問題の太田光)とかあると思うんだけど、松本くんってのは無いでしょ?
博士 もうね、たけしさんの影響下にあって、あのー、発言しているんではなくて、『放送室(注:2001年~2009年にTOKYO FMで放送されていた松本人志のラジオ番組)』ってラジオを俺はずっと最初っから最後まで全部聴いてたけど
植竹 うん
博士 もう本当にライオンは同じことを口にするんだって思うほど、やっぱ似ているんだけど影響下では言っていないね。
植竹 そうだよね
博士 イズムの中では全然言っていない。ただ発想が同じになっていくってのはよく分かる。
植竹 うーん
博士 それは君主論だとか天才論みたいなところもあるし、きっとやっぱ大きいのは、その、貧乏っていうものの・・
植竹 あー
博士 ・・この創っているお笑いの雰囲気ってのは大きいなって思うけど
植竹 あぁそうか
博士 その生い立ちみたいなところでたけしさんは足立区出身でっていう、まぁ松本人志は、えー、尼崎出身でっていうとこで、そこで見てた風景とかそういうものの共通項からお笑いが生まれていくっていうか、お笑い意外に武器がなかったからこそ、その、貧者の剣であったみたいなところの、共通項が、その、若くして王にしたあと、同じ発想をさせるんだなと思うことはあるけれど、影響下にいるとは思えない。
植竹 だよね。でほら、あのー、松本くんがよく紳助さんを尊敬しているって言うけど、紳助さんのDNAでもないでしょ?
博士 うん、紳助さんは聴覚的な笑いってのを・・・松本さんもそういう例えをするけど、天才性のある、今やもう、テレビの王様になっていると思うけど、そーいう能力があるってのはよく分かるけど、そのね、造形的なお笑いのセンスみたいなところだから・・
植竹 うん
博士 例えばその才能を証明する時に、彫刻を彫れるかっていった時にパッと才能のある人と無い人と分かるじゃないですか。
植竹 うん、ハッキリわかるね。
博士 これ、絵というよりもっと難しいじゃないですか。
植竹 うんうんうん。
博士 そういう意味の彫刻性があるというか、造形的なもう絵が見えている感じってのが松本人志の笑いってのは常にあるし、そこに帯びているペーソス(注:悲哀、哀愁)みたいなのもあるし・・・やっぱちょっと、並みじゃないなって思うし。
植竹 そうだよなぁ
博士 あのー、筒井康隆の短編なんかに影響を受けているのかなとか思うのね。
植竹 まぁ、それ例える人いるよね
博士 いやだけど、筒井康隆の短編の、その新潮文庫でずっと出た頃の『熊の木本線』とかあの辺のずっと似ているモノって沢山あるんだけど絶対読んでないのね。
植竹 読んでないでしょ。そりゃそうなんだよ、恐らく。
博士 絶対に読んでない。
植竹 そこがさ、どっからあんな発想が生まれるのか・・
博士 だから漫画家になったって成功していると思うのね。(注:松本人志は小さい頃、漫画家になろうとしていたと語っている)
植竹 うーん
博士 そーいう、ギャグ漫画家になったとしても。だからそういう事で語れて、演じられて。だからこそ映画監督になるべき人だと俺は思っているね。
と話していた。
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2004年12月23日にTOKYO FMにて放送された「松本人志の放送室」にて松本さんと高須さんがビートたけしさんの話をしていた。たけしさんのいい話は色々とありますが、今回のエピソードもたけしさんの人柄がわかる話です。 | ![]() |
松本人志(ダウンタウン / お笑い芸人)
高須光聖(放送作家)
高須 ABCのプロデューサーがたけしさんと『一度一緒に食事しましょうよ』つって、たけしさんが『じゃあいつか食事しようか』つって『じゃあいついつに食事しましょう』つってたけしさんと、そのスタッフの人とまぁ俺の知ってる放送作家の奴と、たけしさんと食事に行ったんやって。ほんま数人で。6、7人くらいで行って、まぁ食べて、色んな話を聞いて、で『ここは』ってプロデューサーがお金を出して、でプロデューサーが出ていくと、たけしさんが、ホンマなぁちょっとここでやるけど、そいつがやってんけどな、もう、もうこんな感じで
松本 うん、45度や。
高須 45度どころじゃなく頭下げはって
松本 45度じゃない、90度や。
高須 うん。『ごちそうさまでした!』って言いはったんやって、そのプロデューサーに、ちゃんと頭を下げて。『あざす、お疲れっした』じゃなくてガーッと頭を下げているのを見たら何かスゴイなと思う、と。かっこええって逆に。『あ、お疲れっした。』じゃない、その、何て言うの?ちゃんと礼を言うことがかっこええ・・
松本 たけしさん、俺もそやったで
高須 あそう
松本 あの~、一回対談した時に
高須 したなぁ『コマネチ(注:コマネチ!―ビートたけし全記録 (新潮文庫)
松本 まぁ確かに、たけしさんの雑誌に俺が呼ばれている形なんで、まぁ言わば俺は・・まぁ言い方悪いけど協力した形ですよね。向こうはあの~、ありがとうございますって関係ではあるんやけど・・
高須 迎える、ホストやからね
松本 なかなかぁ目上の人で年上で、あの位になった人が難しいやんか
高須 難しい難しい
松本 『あ、ごめんねー』くらいな感じ、『ありがとうねー』くらいな感じで普通は。それでも全然OKやんか。
高須 うん
松本 ものすっごい深々とお辞儀して『ありがとうございます』って、最初。
高須 もうビックリするな
松本 ビックリするよ
高須 俺それ聞いて、うわぁたけしさんスゴイなと思って、そこは
松本 スゴイと思う
と話していた。
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