2012年10月23日に放送されたTBSラジオ「ニュース探究ラジオ Dig」にて、「頂点に達した沖縄の怒り!基地問題に解決策は在住するのか?」というテーマで米軍基地問題で紛糾する沖縄について語られていた。そこで、母親が沖縄出身でもある元外交官で作家の佐藤優さんが沖縄の独立の可能性について力説していた。 |
佐藤優(作家/元・外務官僚)
神保哲生(ビデオジャーナリスト)
外山惠理(TBSアナウンサー)
外山 え?アメリカは日本と沖縄は別だと思っているんですか?
佐藤 アメリカは実はここをね、あの、おー、非常に難しいところなんですよ。私の母親は14歳の時に沖縄に従軍するんです。
神保 うん
佐藤 それで、軍属だったんですね。14歳でお給料をもらいながら医師部隊っていう軍にいて一緒に仕事をしていて、その3カ月以上ずーっと軍と一緒に逃げて、最後、摩文仁の丘ってのがあるんですけどね、そこの所で手りゅう弾を2つ持って最後自決しなければいけないっていうところを、その、手りゅう弾の栓を抜いてアメリカ兵に見つかって、17人その壕の中に行ったんですが、サンゴ礁に打ち付ければ4秒から5秒で爆破して全員死ぬんですよ。そこの壕ですぐ横にいるアヤメって名前の北海道出身の伍長が、手を挙げて下士官が、あの『死ぬのは捕虜になってからもできる。』と。『捕虜になろう』と。言って捕虜になったんですね。
神保 投降したんだ。うん。
佐藤 それで捕虜になった時に送られたのは今の辺野古の所にある大浦湾の琉球人収容所なんです。
神保 なるほどね
佐藤 当時アメリカの政策は、琉球人と日本人は別民族だと。
神保 うん。
佐藤 それでだから別の収容所に入れられて、それは別途の扱いを受ける訳ですね。それで1960年代に、琉球民政府っていうところで、あの、作られた。ジョージ・カーっていう、有名な、あのアメリカの沖縄学者が作った『琉球の歴史』っていう本でも、日本人なのかそうじゃないのかってのは非常に中途半端な書き方しています。
神保 沖縄の人を。うん、うん。
更に次のように語っていた。
佐藤 実は民俗学の立場から言うと『亜民族』っていう概念があるんです。亜熱帯ってのは熱帯じゃないですよね。
神保 あー。
佐藤 亜民族ってのは民族じゃない。これはどういうのかと言うと、元々例えば会津人だって歴史の巡り会わせが違えば、あれだけの戦争(注:詳しくは会津戦争を参照)をしているわけですからね、もしかしたら別民族になっていたかもしれない。
神保 うん
佐藤 薩摩人だって別民族になっていたかもしれない。
神保 うんうん
佐藤 民族ってのは我々昔からあるように思っているんですけど、アーネスト・ゲルナー、イギリスの社会学者。ベネディクト・アンダーソン、アメリカの政治学者。たちの研究だと200年から250年ぐらいしか遡れないと、一番古くても。
神保 あぁ
佐藤 日本なんてのもかなりアジアで遅く民族が生まれているんですね。そうするとそこの周辺地域で亜民族っていう人たちがいて、今の民族に必ずしも完全には同化できない、独自の言語、独自の文化、独自の習俗を持つ。その人たちはもし歴史の巡り会わせが違えば独立することもできた。
神保 うん
佐藤 あるいは歴史の巡り会わせが違えば隣にいる別の大きな民族
外山 うん
佐藤 沖縄の場合中国ですね
神保 うんうん
佐藤 この一部になることができたと。こういう亜民族ってのがいるんですよ。沖縄は、私は亜民族だとみているわけです。
神保 うん
佐藤 そうすると、そういったところには本当に注意した接し方をしないと『ちょっと待ってくれ。家族の扱いをしていないな!』と。『舐めるんじゃねぇ!』ってことになると『じゃぁ自分たちの道を行こう』ってことになるんです。現に国連に加盟している、あの、国でも、今沖縄の人口は140(注:約140万人)ですよね。
神保 うんうん
佐藤 ね。国連加盟国でも40数か国、140万人以下の国があります。それは、あの、ほとんど島の国です。それから沖縄の歴史ではですね。ペリーが浦賀に来ましたよね。
神保 うん
佐藤 そして日米和親条約を結んだ。あれは1854年です。まだ江戸時代です。
神保 はい
佐藤 その1854年にペリーは浦賀から帰る時に那覇によっているんです。そこで琉球王国と琉米修好条約って条約を作っているんです。そしてその翌年にはフランスと琉球王国で琉仏修好条約っていう条約を作っているんです。それから更に1859年、この時には琉蘭修好条約っていう条約を作っているんです
神保 オランダ
佐藤 はい。当時の帝国主義時代の帝国列強三国から国際法の主体だって認められているわけですよね。
神保 ああ
佐藤 仲井眞さん(注:仲井眞弘多/沖縄県知事)が今、アメリカに行くっていう背後の意図も『我々は元々アメリカとは対等の立場で交渉をした国家っていう歴史があるんだ』っていう、その歴史の記憶が蘇っているんですね。
神保 具体的にちょっと国際法の話を佐藤さん。もし本当にね、沖縄がじゃあ分離独立したいって言った場合には、まぁ日本政府はたぶん『ダメだ』って言うんでしょう。
佐藤 はい
神保 どういう、あの具体的な流れになるんですか?
佐藤 分離独立に関しては想定されていないから法律はないですね。
神保 ない。ない、うん。
佐藤 超法規的なことになるんですけども、常識的に考えてまず起きるのは県民投票ですね。
神保 県民投票。うん。
佐藤 県民投票で独立の是非を問うってことになって、それが8割を超えれば、国際基準で独立可能になりますね。
神保 うん、国際社会がそれを認めることになってしまうってこと。うん。
佐藤 それからあと、今年ですね、国連の人種差別撤廃委員会から『琉球人、沖縄人ってのは少数民族で、それに対する差別政策があるんじゃないか?』っていうことについてNGOから質問がきていると。それに答えろってことで、実は日本政府は7月の31日に勧告書に対して答えているんですよ。
神保 うん
佐藤 国際的にはそういう所まで沖縄の問題ってのは深刻になっていますね。
外山 うん
佐藤 ちなみにこれはホームページに質問の文章は英語のまんまPDFファイルにして、回答の部分だけ日本語にしてでていると。日付も書いていないという非常に不思議な、出来るだけ目に触れないように、しかしこれは明らかに備えで後でマズイことになるって官僚的な悪知恵でホームページに載せていますね。
神保 どこのホームページ?
佐藤 外務省の。日本の外務省。公式なホームページです。(参照:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/)
外山 え、なんて答えたんですか?
佐藤 それに関しては、『一部に別民族って言う人がいるけども別民族ではない』と。『辺野古に関しても差別は全くない!』と。『沖縄の侵犯に関しても差別は全くない』と。
外山 え?でもそれは沖縄の人が答えているわけじゃないですよね。
佐藤 日本政府が答えています、そうやって。
外山 うーん
佐藤 こういうのが、もし大きく報道されると、今日これでラジオで話していますと沖縄でも沖縄の関係者の人達ってのはそこでホームページを開けると思うんですね。みんなまた怒るわけですよ。
外山 うん
佐藤 『我々に相談せずに何でこんな勝手なことを言っているんだ!』と。『差別はないだと?ふざけるな!』と。こういう感じになっているんですね。
外山 えーー
更に次のような話もしていた。
佐藤 今日の琉球新報のコラムを見ていると、非常に面白いのは、あの、那覇市が今度採用試験でですね、沖縄方言を採用したと。うちなーぐち、沖縄ぐちで挨拶、会話を採用したと。これも物凄い大きいわけです。言語の回復に向かって運動が始まっているわけですね。『我々は日本と別の言語を元々持っていてその言語っていうのは無くなってしまった。奪われて・・奪われかけている。』と。『それでだから、もう一回我々の言語を復興していくんだ』っていうことのスタートですよ。
神保 ・・・(ため息)
佐藤 ですから沖縄は今根幹から変わりつつある。その様子が見えてくるのがですね、あと1、2年経った後では東京でも沖縄で深刻なことが起きているってこと、これが見えてくることになると思うんです。
外山 ようやく
佐藤 はい、だいたいそれくらいのタイムラグがあるんです。
神保 うーん
佐藤 それで私の場合は既視感があるんですね。デジャブ感があるんです。
神保 ええ、既に見た感覚があると。
佐藤 それはどうしてかというと、ソ連の崩壊のプロセスなんです。
神保 うーん
外山 えぇ!
佐藤 ソ連崩壊のバルト三国。このバルト三国で1988年くらい。ようやくゴルバチョフさんのペレストロイカが軌道に乗ってきた頃にですね。数百人のソ連から独立を求める集会が8月にあったんです。
神保 数百人
佐藤 その時みんな笑ってたんですよ。『ソ連からの独立なんてあり得るはずがない』と。
神保 ないと。
佐藤 その時集会をやってた人もそう思ってたんです。ところが三年後には、現実にソ連から独立して1991年の12月にはソ連っていう国家が無くなっちゃいました。
神保 うん
佐藤 それと同じくらいのインパクトのことが今沖縄で起き始めているんですね。
と話していた。
【あわせて読みたい】佐藤優が語る沖縄問題「沖縄は植民地。国は沖縄県民にバレないように暗号を使っている。」
【あわせて読みたい】那覇市長が語る「衆院選挙と沖縄独立」
スポンサーサイト
- Tag List
- アーネスト・ゲルナー
- ベネディクト・アンダーソン
- 仲井眞弘多
- 佐藤優
- 神保哲生
- 外山惠理
- ジョージ・カー
最新コメント