2012年7月30日(月)に放送されたTBSラジオ「ニュース探究ラジオ Dig」のカンニング竹山さんによるコラムコーナー「黒ぶちメガネ」で竹山さんが自身の師匠であると公言するブッチャーブラザーズのリッキーさんとのエピソードを話していました。 事務所からクビを宣告された当時のカンニングを拾い、ブレイクへと導いてくれた師匠。 そんな師匠と久々に再会し、泣き崩れてしまったというある日の夜の話です。 | ![]() |
■会話をしている人
竹山隆範(カンニング竹山 / お笑い芸人)
外山惠理(TBSアナウンサー)
竹山 僕も師匠がいない芸人なんですけど、紆余曲折あって東京でいろいろ会社クビになったりとか、またそれで戻ってきてたりなんだかんだしている時にブッチャーブラザーズさんというのに世話になり・・
外山 はい
竹山 ・・出会うわけですね。そこのブッチャーブラザーズにはブッチャーさんとリッキーさんといるんですけど、リッキーさんという方がいるんです。この方が、実は、まぁあんま話していないってのもあるんだけど、実はこの方がカンニングというコンビでキレ芸みたいなのを作った人なんです。
外山 うん?
竹山 この方が居なかったら僕は芸能界の今のポジションには居ないんです。カンニングという当時あったお笑いコンビも無いんです。無いというか売れていないんです。
外山 えぇーー。そーだったんだ・・・。
竹山 じゃぁこれ何故かっていうと、今から遡ること、今から13年くらい前かな。
外山 うんうん。
竹山 僕らが28の時に、ワタナベプロダクション、東京に来てワタナベプロダクションというところでカンニングを組んだんですけど、そっから何か一回辞めてサンミュージックに入るんです。
外山 うんうんうん。
竹山 で、サンミュージックも一回辞めて個人事務所みたいなところに。でそっからもう一回サンミュージックに入っていくの。うん、出戻るわけですね。で、サンミュージックに出戻った時に、またそこでネタなんか作らずにダラダラしてたからクビになりそうになるんです。
外山 はい
竹山 何回も僕ら事務所をクビになっているんですけど、出戻ったサンミュージックで28ん時にもう一回クビになりそうになったの。
外山 うん
竹山 その時のクビってどういう風になるかというと、当時のサンミュージックはマネージャー全員とブッチャーブラザーズと、社長とかもいたかなぁ、で会議室に呼ばれるんです、一組ずつ。そして『あぁカンニングねぇ』って資料を見たり自分たちの売上とかさ、最近どんな仕事をしているかとかマネージャーに見られながらぁ、『へぇー、最近あんま伸びてないねぇ』とか『えっ?ライブとかもあんまウケてないらしいねぇ』とかバンバン言われて『はい、じゃあ採決取ります』みたいに言われんのよ。
外山 ええー!!
竹山 『えぇーじゃあ皆さん、カンニングやりたい人?』って言われて、で、手ぇ挙がんなかったらその場でクビなんですよ。
外山 ええっ!!えーーー!
竹山 っていうのをやってたの。で、その時に誰からも当時28歳の僕ら挙がんなかったの。手が。
外山 ふーん
竹山 誰からも挙がんなくて『ということで、じゃ明日からクビです。』みたいなことを言われ、た時にですよ、ブッチャーブラザーズのリッキーさんっていう人が『いやいやいや、ちょっと待てや』と。社員に怒ってくれるんです。『なんもお前ら分かってへんな』と。『クビにすんの、こいつら?』と。
外山 うん
竹山 『こいつら、こいつら何かあんの感じへんの?』と。言いだして、言いだしてくれたの、関西の人だからね。『こいつら何かあるで。俺説明できへんけど。これもったいないわ、こいつらクビにしたら。』
外山 えーー!
竹山 『それでもやらんの?』誰も手ぇ挙げなくて。『ふーん、じゃあ分かった。じゃあ俺が預かるわ。サンミュージックが辞めさせるなら俺が預かる。カンニングを。だからお前ら黙っとけ。』って言ったんです。リッキーさんがね。で俺はよく分かんないままリッキーさんに預かられて。『あのなぁ、お前らなぁ、今はなぁ、ダメなんや。でもなぁ何かあるんや。感じるんや。』ってずっと言ってくれて。『好きなことやってみん。舞台、ライブで言いたいこと言ってみん。もう放送禁止用語でも何でもええわ、言いたいことやってみん。』って言ってくれて、で、『怒られたら全部俺がケツ拭いたるわ。』って。っていうところから始まったの。
外山 へぇー。
竹山 それで、ブチキレたりすんの面白いなとか思いながらやってて、で必ず社員とかが怒ったりしてきてもリッキーさんが『黙っとけアホ!!』って全部守ってくれて。ライブは一人4分って決まっているところを俺たち15分やったりしても『黙っとけ!!』って言ってくれて
外山 ヘええー!!
竹山 でリッキーさんは僕に、当時のカンニング、怒りだしたカンニングに言っているのは『あのな、最終的にな、客席降りてってな、客殴ったれ!』って言ってたんですよ(笑)
外山 へえー!
竹山 キャッキャッキャって笑いながら。それはどういうことかと言うと、そこまでやれよって話なんです。
外山 うんうん
竹山 で、それがあったりして、どんどん怒ったりする漫才が、こっちもリッキーさんと相談して考えますから。ここまで言ったら怒られるんだな、とか。ここまで言ったら客は泣いて帰るんだな、とか。実際そういうこともあったし(笑)。それでドンドン2年ぐらいで作っていくわけですよ。
外山 へぇー!
竹山 『ここリッキーさんどうですか?』とか言いながら。うんでそこでテレビのオーディションとかがあったりしてテレビに出れたりして始まるんですけど。だから僕にとっては師匠なわけなんですよ。リッキーさんっていう人は。
外山 うん
竹山 で、その師匠とちょいちょい会ったりするんだけど、今もたまぁーに飲んだりするわけね。メシ食ったりとか。
外山 へぇーー。
竹山 で、この間、久々にちょっと別件でちょっと話があって久々にメシを食ったんですよ。で僕は酒を飲みながらね。でその時にずーっと気になっていたことをリッキーさんに聞いたんです。
外山 うんうん
竹山 リッキーさんは何で十何年前に、あの会議室で僕らを拾ったんだ、と。
外山 あの時ねぇ。うんうんうんうん。
竹山 あの時。いまだに分かんないと。なぜ拾って僕らを育てようと思って、やったのか、と。
外山 うん
竹山 そしたらその答えはいまだにうちの師匠が言うのは『なんやろなぁー。何かあったなぁー。』とそれしか言わない。『ハッキリとは分からないけど、何かあったんやなぁー。もったいない!!っていうのは芸人の勘かなぁ。もったいない!!って思ったんやなぁ。』って言ってて。まぁ照れなのか本当なのか分かりませんがそういうこと言ってて、『じゃリッキーさん、あの時いくつだったんですか?』って聞いたら41なんです。
外山 おお!!
竹山 40か41って言ってて。・・・だから今の僕と同じ年なんです。したら、今自分がね、ちょっと思ったんです。自分がね今そういうこと出来るのかなと。あん時、同じような年の社員に『黙っとけお前ら!!』って言いましたから。『なんも分からんくせに。俺がやるわ。』って言ったアレを今果たして出来るのだろうか?と。思ったんです。
外山 うん。
竹山 若者、その10コ下くらいの人生を預かって、もしかしたらダメかもしれないけど、根拠もない理由もないのに『何かあるわ』って拾って預かって。『ココこうしよう、こうしよう。』ってコイツラを、まぁ言ったらアレですけど、うん、ちょっと売れるというか、どんどん成功に導いていくわけですよ。別に自分に利益があるわけでもないのに。
外山 うん
竹山 それを今出来るのかな?って思った時に、あぁ俺は出来ないな、と。出来ないしそんなことやってもいないな、と。・・まぁやんなきゃいけないってことじゃないですけど。・・・で尚且つ今から十何年ずっとメシ食っても、またグルメだから良い店に連れてってくれるわけですよ。
外山 へぇーえー。
竹山 で、ポンっと金を払って帰るわけですよね。『がんばれよ!』って言って帰るっていう。
外山 うんうん
竹山 それが今、そーいうこと出来ねぇなって思った時に色々とこう反省をしたわけですね。・・・でそれで話し合いというかメシが終わりまして、夜中1時過ぎくらいですかね。僕は中田さん(注:運転手のバイトを務める後輩芸人の「ラブシングル中田」)の運転する自分の車で、店の前に中田さんがブーンって来て、帰るわけです。もちろん僕は師匠を乗っけようと思ったんです。送ろうと。中野の方に住んでらっしゃるので。飲んでたのは西荻窪の方で飲んでたんですけど。
外山 うんうん
竹山 『あぁ乗ってください!』って言っていると、ふと気付くとチャリンコを片手で持っているわけです。リッキーさんは。『おお!ええよ、ええよ!俺チャリやねん!チャリで帰るんや!』ってニコやかにね。
外山 うん
竹山 それは決してカッコ悪くなく、決して照れ隠しとかでもない『チャリやねん!!』って。『20分くらいや!どこでもチャリやで!!』みたいな。普段からチャリに乗っているのは知っていましたけど、片や自分が育てたガキがね、片や運転手付きの車で酔っぱらって帰ろうとしている。片や『チャリチャリチャリ!!どこでもチャリや!!』って言う師匠の姿を見た時に、俺はね初めてです、そーいうことで泣くのは初めてでしたけど、泣き崩れたんですよね。
外山 うん
竹山 その、まずその師匠がカッコいいと。当たり前のように平気で『チャリやねん!』って言っていると。自分が育てたガキはもう車で帰ろうとしているのに、まずチャリで帰る芸人のカッコ良さ。プラス、自分への俺は奢り高ぶっているんじゃねぇか?っていう反省。この人に育てられて、この人に見出されて今があるのにも関わらず、中田を連れて車で帰ろう・・『中田、運転しろよ』ってやっている、まぁテレビとかの仕事はしていますけど、その俺の姿勢。それを何とも思っていない師匠。
外山 うんうんうんうん
竹山 『車で帰れ帰れ帰れ!!明日早いやろ!』って言いながら、で運転手の中田に『中田ぁ、事故んなよ♪』って言いながら『はよ帰れよ♪』て言う師匠。でチャリンコで去っていく姿。・・・それ見た時に『あぁ芸人になってよかった』というか。師弟関係って素晴らしいっていうか。人間としてこういうことなんやろうなって思った。奢り高ぶらないというか。
外山 うんうん
竹山 『じゃあなー!!』って言って帰る。俺は俺、お前はお前っていう。自分が成功させたこととか関係ないという。だから、自分のことになりますけど、ああいう人間にならなきゃダメなんだなと・・・ちょっと思ったりもしましたよ。
と話していた。
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