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2013年1月29日から配信されたラジオ日本の『水道橋博士のラジカントロプス2.0』で、水道橋博士が師匠のビートたけし(北野武)の息子、北野篤(きたのあつし)さんについて語っていた。北野篤さんが子供の頃から知っているという水道橋博士の愛情が伝わるエピソードです。 | ![]() |
■会話をしている人
水道橋博士(お笑い芸人 / 浅草キッド)
植竹公和(放送作家 / 渡辺正行と共同で渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で新人コント大会を主催している。)
補足:『水道橋博士のラジカントロプス2.0』について。
『水道橋博士のラジカントロプス2.0』は水道橋博士がブログで書き記した文章を紹介して、植竹さんが博士に質問していくという内容です。ですから、冒頭で植竹さんが博士のブログを読みあげています。
植竹 15時半、赤坂へ。『水道橋博士のメルマ旬報』編集会議。殿のご長男、篤くんが会議室へ。昼間に殿に会い、夕方、息子さんに会う。「今日、お父さんに会ったよ!」「へ~何処でですか?」「ラジオビバリー昼ズで5年ぶりの共演!」「へ~そうですか。実は今日、僕と父の本が出来上がったんですよ!」そして机の上に絵本を広げる。北野武『ほしのはなし (単行本)
植竹 息子さんの話・・っていうか実物見たことねぇーんだけど。
博士 あーそうですか。今、博報堂にいるんですよ。
植竹 えっ! こ、代理店の方?
博士 そうです。しかもあのー、こー、中途入社ですけどね。だからすごくー、10代20代、僕、10代、子供の頃から知ってるんですけどね
植竹 うん!
博士 で、割とこー、自分と境遇が似てんなと思って。引きこもっている感じぃ、とかね。
植竹 そうだったの!
博士 ええ
植竹 フフフ(笑)
博士 そりゃアレだけ大スターの息子でね、そりゃやっぱ自己表現というか思春期は難しいですよ
植竹 あのー、顔立ちって似てんですか?
博士 そっくりですね(笑)
植竹 そっくりなの!
博士 ええ
植竹 背とかどお?
博士 うーぁ痩せてますけどね。ええ。
植竹 へぇーーー。
博士 なんかそういうーー、照れ屋みたいなシャイなところ、みたいなところがやっぱ強く出るじゃないですか思春期ってのは
植竹 うんうんうん
博士 だからそういう意味ではそうやって就職して仕事して、しかもメルマぁー、メルマガ担当だって聞いてたんですよ
植竹 えっ!息子さんが!?
博士 そうなんですよ。だから僕がメルマガをやっている理由ってのは、そのー、武さんの息子さんと仕事をしたいから、色んなところからメルマガの話はあったけども、この博報堂の、えー、ケトルのところから
植竹 あ、ケトルかぁ(注:株式会社博報堂ケトル)
博士 で、そこでやりたかったからやっているんですね。それは夢を叶えているんですよ。
植竹 えー!すごいねぇ。
博士 若(わか)に尽くたいって
植竹 なるほど若ね!(笑)。ははぁー。
博士 で、やってたのはマキタスポーツとプチ鹿島とかのメルマガなんですよ
植竹 おお
博士 で、2人とも『部数が行かないんですよ』とかって言っているから
植竹 うんうん
博士 それはこう『若に恥をかかせてはならない!』と思っている訳ですよ。
植竹 うんうんうんうん
博士 『俺が行ったら全然やりますよ!』っていう意気込みもまたスゴイ訳ですよ
植竹 うん
博士 うー、2人のメルマガは面白いんですよ?面白いけど、もっとトンデモナイことが出来るって自分の中では思っていますから
植竹 うん
博士 で、『篤くんを男にしてやる!』っていう意気込みで行っているんですけど、いかんせん篤くんはメチャクチャ仕事してんですよ
植竹 ほう
博士 だから僕はものすごく閑職にいると思ったんですよ。
植竹 はははははぁー。
博士 もうメルマガを出すしかない、みたいな所でぇ、あのー、もう暇で、しかもそのー、売上がないんだと思ってたらバンバン仕事してんですよ!
植竹 へぇー!
博士 編集会議ほとんど来ないくらいです
植竹 へぇー!
博士 それはそれでメチャクチャ嬉しいですけどね。
植竹 はぁー
博士 『あぁちゃんと仕事する男になったなぁ』っていう。『成人したなぁ』っていう。もう30超えてんですけどね。
植竹 親子に2代に、つまり江戸時代の将軍の爺だね。
博士 そうそうそうそう
植竹 爺が・・
博士 いやでもアレですよ。全然オレが思っているより全然仕事はしているってことですけどね。
植竹 なるほど。
博士 ええ。だけどアレですよ。だからぁ、そこでやってるメルマガってのは1回20万字。まい、えー、2週間に1回本が一冊出るっていうペースで作っているんですよ。
植竹 結局編集長ってことでしょ?
博士 結局編集長やってます。
植竹 で、人選してぇ
博士 今20大連載ですよ。20人。
と話していた。
補足:水道橋博士のメルマガ「水道橋博士のメルマ旬報」について。
お笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士が著者兼編集長を務める有料メールマガジン。広告代理店の博報堂が運営する「BOOK STANDプレミアム」より月2回(毎月10日/25日)発行されている。月額500円。1回の配信で20万字にも及ぶ圧倒的なボリュームから『大人のコロコロコミック』『子どもの文藝春秋』と自称している。回を追うごとに増えている豪華執筆陣は以下の通り。
水道橋博士(お笑い芸人・浅草キッド)、園子温(映画監督)、西野亮廣(お笑い芸人・キングコング)、酒井若菜(女優・エッセイスト)、山口隆(ミュージシャン・サンボマスター)、松原隆一郎(経済学者・東京大学大学院教授)、岡村靖幸(ミュージシャン・音楽プロデューサー)、伊賀大介(スタイリスト・麻生久美子の旦那)、西寺郷太(ミュージシャン・ノーナリ―ブス)、樋口毅宏(小説家・編集者)、坂口恭平(建築家・作家・絵描き)、谷川貞治(元K-1プロデューサー)、茂田浩司(フリーライター)、杉江松恋(文芸評論家・書評家)、柴尾英令(ゲームクリエーター)、九龍ジョー(ライター・編集者)、高橋ヨシキ(アートディレクター)、てれびのスキマ(お笑いウォッチャー・ブロガー)、金太郎師匠、碇本学(ライター)、マキタスポーツ(お笑い芸人)、プチ鹿島(お笑い芸人)、木村綾子(小説家・エッセイスト)、荒井カオル、…など。
編集長の水道橋博士曰く「すべて読むのは無理。好きな人の部分だけ読んでくれればと思う」。
http://www.webdoku.jp/premium/merumaga/page/s_hakase.html
2012年10月15日(月)深夜1時にラジオ日本にて放送された『水道橋博士のラジカントロプス2.0』で、浅草キッドの水道橋博士がキングオブコントについて語っていた。優勝した『バイきんぐ』について、賛否両論ある採点システムについても言及していました。 | ![]() |
水道橋博士 (お笑い芸人 / 浅草キッド)
植竹公和 (放送作家 / 渡辺正行と共同で渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で新人コント大会を主催している。)
博士 見ましたよ。あのー、キングオブコント。嬉しかったですね見てて。
植竹 嬉しかった?
博士 うん
植竹 やっぱり、ど、どういうところが?彼らみたいなのが・・
博士 あのー、伊集院が作っているDVD(注:『伊集院光のばらえてぃー
植竹 出ていますね
博士 そうそう。で、あのー、彼らの年齢とかも分かっているから、『あぁ、もうこの人達は明日無き芸人生活を送っているんだな』っていう共感を持っているわけじゃないですか。
植竹 そうそうそう。
博士 だからああいう風に、えー、『キングオブコメディ(注:お笑いコンビではなく映画タイトルのこと)』みたいな?
植竹 うん
博士 一夜の王になってくれ!みたいな気持ちは常にあるんですよね。キングオブコメディ(注:2010年のキングオブコントで優勝したお笑いコンビ、キングオブコメディのこと)がそうだったようにね。正にね。あの名前通りにね。
植竹 うんうんうんうん
博士 あの、ルパード・パプキン(注:映画『キングオブコメディ』でロバート・デニーロが演じた主人公)であって欲しいって芸人は。って思ううんですよ。映画のね。
植竹 なるほど
博士 そういう一夜の夢みたいなのを、あの瞬間見せてくれ!と思うんですよね。
植竹 あー
博士 でも実際その後、あの、売れ線に入っていくね、スギちゃんみたいな。そーいう人とそうでない人のグループとまたある訳ですけど
植竹 フフフ(笑)(咳払い)
博士 あるんだけども、それはどーなるか分からない。その一瞬だけでも、10年20年みたいなスパンが、なんか一瞬にしてオセロのように変わるような。
植竹 うん
博士 バーンと白が黒になるような。そーいう芸人のドリームみたいな、夢みたいなやつ、やっぱ見たいなって思いますもん。
植竹 そうだね。
博士 ええ
植竹 そうそうそう。あの崖っぷち感の美学っていうかさ、凄かったよねー、確かに。
博士 でもお笑い、それー、加味しますよね、採点っていうものに。
植竹 うん
博士 あのー、純粋に技量だけじゃなくて
植竹 そうなんです。そこにも点数が入ったと思うんです。
博士 うん。だってあの劇団の人達(注:夜ふかしの会)の点数の悪さ凄かったですもんね。
植竹 凄かったねぇ。・・アレはね、ネタの選択を間違っていたと思う
博士 いやいや、だから芸人じゃないって気持ちですよ。
植竹 まずね、まずがね
博士 審査員の人達が知らない、思い入れが無い、事務所違う、顔見たことが無い、苦労が見えていないみたいな。
植竹 はい。それはあるよね。
博士 バッファロー五郎なんかだったらずっと苦労が見えているわけじゃないですか
植竹 仲間意識ってね、確かにあるわ
博士 ええ、ええ
植竹 それにしてもね、ネタがね、もっと面白いネタがあったんだよ実は。
博士 じゅーーぶんアレでも面白いですから。
植竹 あそう、もっとあったわけ実は。
博士 だから点数が反映しているわけじゃないみたいな、それは思いますよ。
と話していた。
【あわせて読みたい】ダイノジ大谷が語る「ダイノジが一番ウケたのにM-1で落選した理由」
2012年10月1日の深夜12時にラジオ日本にて放送された『バイきんぐのラジカントロプス2.0』にて、キングオブコント2012で優勝したバイきんぐがコンビ結成秘話を話していた。ドラマのような偶然が重なってコンビ結成をしたいんですね。 | ![]() |
小峠英二(バイきんぐ)
西村瑞樹(バイきんぐ)
植竹公和(放送作家 / ※渡辺正行と共同で渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で新人コント大会を主催している。)
植竹「で、元々結成するさ、あれ、あのぅー、切っ掛けってさ、今回のキングオブコントの一発目のネタで自動車教習所と(笑)」
小峠「えー」
植竹「なんと自動車教習所だったんだって?」
西村「これそうなんですよー」
小峠「そうなんすよ」
植竹「それじゃチョット、話していただきたいんですけど」
小峠「あいあいあいあい、あのーまぁまぁ元々ですね、まぁ僕は福岡出身で、でコイツが広島なんですけど、まぁ当時は兵庫県で高校生だったんですよね。僕は福岡で高3、コイツは兵庫県で高3。で僕は高校をちょっとダブっているんで、まぁその辺は年は違うんですけど・・」
植竹「なんでダブっちゃったの?」
小峠「これがまた長くなっちゃうんで後にしますか?(笑)」
植竹「まぁ後で話しましょう。うんうんうんうん。」
小峠「後にしましょうか。はい、すいません。・・でお互いに高3の時に大分の自動車教習所に合宿に行ってたんですね。免許の合宿」
植竹「ほうほうほうほう」
小峠「なんか3週間くらいあるじゃないですか。集中合宿みたいな」
植竹「はいはいはい」
小峠「で、そん時3週間共にこう合宿を、共にしたんですよ。で、まぁ一言も僕たちは喋っていなかったんですけども、何かなんとなく顔は覚えてまして、でそれが8月くらいですよね夏休みなんで。」
植竹「うん」
小峠「で、えー、年をそれから越して、えー2月に大阪のNSCの何か試験みたいなのがあるんですね。」
植竹「吉本?」
小峠「吉本、養成所の」
植竹「はい」
小峠「それが多くて600人くらい受けるんですかね。僕らん年は。で600人ってまぁ中々の人数じゃないですか。で、多いから土日に分けられたんです。面接がね。」
植竹「うん」
小峠「更に、10人ずつの10分間づつ区切りの集団面接やったんです。」
植竹「おー」
小峠「そんだけ細分化されているのにその10人のうちの2人が僕とコイツやったんです。」
植竹「けぇーー!!」
西村「僕、その時遅刻してしまいまして、本当は10分前のやつだったんですけど、一個後にして下さいと言われて、で一緒になったんです。」
植竹「アンタたち作ってない?その話(笑)」
小峠「いやそんなん作んないでしょ。作ったにしてはちょっとスケール小さいでしょ(笑)。もっとドラマチックにしますよ、そんなこと(笑)。」
植竹「ハハハ(笑)はら、何とか波瀾万丈みたいにね、再現Vで出来そうな話だけども(笑)そこで出会った?おー!と。」
西村「なりました」
小峠「で『おー!』となったんです。んで終わった後に、僕は、僕が最初に気付いて『うわぁ、あの自動車学校の奴や』とか思って。んで面接終わった後に気付いてコイツも覚えてて『うわぁー、あん時の!』ってなって、で『あ、芸人になるんや?』って、『そう、なりたいなりたい』みたいなんで、これは相当な偶然やから、『ちょっともうコンビを組もう』つって、これは誰かがもう組めと言っている・・」
植竹「どっちから言ったの?」
小峠「僕から言いましたね」
植竹「おうおうおうおう。二つ返事?」
西村「そうでしたね。」
小峠「一応その時は確約を取ったんですけども、なんか、それが2月くらいの出来事じゃないですか。4月1日の午後7時に大阪の戎橋っていってあの阪神が優勝したら皆が飛び込む橋があるじゃないですか。」
植竹「あー、あそこ。」
小峠「『あそこの、真ん中で待ち合わせをしよう』って言って僕らは電話番号を、連絡先を交換せずにその場は別れたんです。」
植竹「ラブストーリーかそれ!(笑)」
西村「ドラマチックな方向へもっていくんです」
小峠「これは本当に、これはあえてそっちの方がカッコいいんじゃないかと思って」
植竹「ほーー」
小峠「なんか面白いじゃないですか。単純にそっちの方が面白いなって思って。その場で交換するよりもお互い何か一回戻って、まぁ僕はそん時福岡に戻って高校を卒業しなければいけなかったので」
植竹「うん」
小峠「福岡に戻って高校を卒業して、そのー、4月1日でかちあった方が、よりなんか、面白いなって思って。そこで連絡交換するよりも。」
植竹「当時まだ携帯のない時代?」
西村「携帯が出だしたぐらいじゃないですか?普及しだしたぐらい。」
小峠「まだポケベルが主流やったんじゃないです」
植竹「ポケベルね(笑)」
小峠「たぶん、はい。んで、僕は『じゃぁそうしよう』つって約束をして別れたんです。で僕は福岡に戻って高校を卒業してその4月1日の午後7時に間に合うように福岡から大阪に来たんですよね。」
植竹「うん」
小峠「で、その当日ですよ。うーん、行ったら、待ち合わせの場所と時間に行ったら来ないんですよコイツ。」
植竹「おいおいおいおい」
小峠「でずーっと待って、10分待っても20分待っても来なくて、結局1時間待ってもけーへんから『あぁ何かあったんかなぁ』と思って僕そのまま帰ったんですよ。」
植竹「おん」
小峠「そっから数日後にNSCが、始まるんですよね。」
植竹「はい」
小峠「でNSCってのは最初あのー、ABCクラスに、あのクラスごとに分かれて授業を行っていくんですけどね」
植竹「うん」
小峠「このABCクラスってのは別に実力うんぬんではなくて単純な50音順でABCってクラスに分かれて授業を進めていくんですけども」
植竹「うんうん」
小峠「あの、月に一回、合同授業ってのがあるんです。」
植竹「うん」
小峠「ABCクラス合同授業がありまして、で5月の一番最初の合同授業があったんですけども、そこに行った時になんとコイツが居たんです。」
植竹「ほーう」
小峠「アレッ!?と思って。『アイツまたおるわ』と思って。」
植竹「ちょっと待って、何で来なかったの?」
西村「いや・・」
小峠「それで、授業が始まった時に僕がまた話しかけて、コイツがまたビックリして『おぉー!』ってなって。で、『俺あの日ずっと待ってたよ。』と。」
植竹「うん」
小峠「で、『何でけーへんかったん?』って聞いたら・・」
西村「そしたら僕は、NSCを落ちたんですよ。」
植竹「ああ!」
西村「はい、僕は落ちてしまった。」
植竹「あららら」
西村うわぁーこれは駄目だと思ってたら、親父の行きつけのスナックのママが」
植竹「フハハハハハ!!(笑)親父活躍すんなぁ(笑)」
小峠「いやホント親父でてくるんですよ。」
西村「ちょいちょい出てくるでしょ?(笑)」
植竹「パパはキーワードだよ(笑)」
小峠「また出てきな親父ホントに」
西村「親父の行きつけのスナックのママが」
植竹「しかもスナックかい」
西村「スナックのママが吉本で演歌歌手をされている方で、で親父が『うちの息子がコレコレこういうことでNSC落ちたんだよ』って話したら『いや入れるくらい全然口きいてあげるよ』と。」
植竹「ハハハハ(笑)」
西村「ということで僕は、あのー、養成所を裏口入学で、入れさせていただいたという経緯がありまして」
植竹「ハハハハ(笑)ほー。」
西村「で、その方、その演歌歌手の方にご挨拶をするということで会いに行ったのが丁度その4月1日の7時だったんですね」
植竹「うん。あーそういうことか!」
西村「連絡先も聞いていないし、それもちょっと伝えることができなくて」
植竹「なるほど」
西村「で行けなかったっていう」
植竹「いやぁー。へぇー。」
と話していた。
2012年10月1日にラジオ日本で放送された「ラジカントロプス2.0」にキングオブコント2012で優勝したバイきんぐがゲスト出演していた。そこでネタ作りをしているボケ担当の小峠さんがバイきんぐのコントの特徴について解説していた。 | ![]() |
■会話をしている人物
小峠英二(お笑い芸人 / バイきんぐ)
西村瑞樹(お笑い芸人 / バイきんぐ)
植竹公和(放送作家 / ※ 渡辺正行と共同で渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で新人コント大会を主催している。)
植竹「小峠くんがネタを作るの?」
小峠「うん、そうです。」
植竹「えー。ど、どう、どこで考えるの?」
小峠「うーーと、喫茶店、よく行く喫茶店かファミレスですね、家の近くの。大体どっちかで書いてますね。」
植竹「うーん。ノート持って?」
小峠「ノート持っていきますね。」
植竹「自分たちのコントの特徴って、何か言えるの?一言で。」
小峠「僕らのコントの特徴は、一応、僕がさっき言ったみたいにツッコミで、西村がボケってなっていますけど、厳密に言うと僕はツッコミなんですけども、西村はボケじゃないんです。」
西村「僕はボケじゃない・・」
植竹「まぁそうだな。」
小峠「あのぉー、変な奴なんですよね。」
植竹「あぁあぁあぁ」
小峠「例えば教習所のネタにしても、コイツは、ボケフレーズは一個も言っていないんですよ。」
植竹「あぁあぁあぁ」
小峠「全部まともなことを言っているんですよね。」
植竹「あぁあぁ」
小峠「コイツが『まとも』って思っていることを言っているんですけど、それは世間一般からするとズレているんですよね。」
植竹「アハハハ(笑)。」
小峠「『でもお前それズレてるよ!おかしいよ!』っていうのを僕がツッコミっていうか指摘をしているっていうスタンスなんですね」
植竹「あぁー、そっかそっかそっか、あーなるほど。」
小峠「はい。だからたぶん、あんまりわざとらしくないというか。白々しくないと思うんですね。」
植竹「はぁはぁはぁ」
小峠「あの無理がないというか。コイツが言いそうなことを言っているんですよね。」
植竹「はぁはぁはぁ」
小峠「だからコイツが、たまにボケボケしいボケを言ったりとかフレーズを言ったりすると、そこはサーッと、全然ウケないっすよ。」
植竹「逆にね」
西村「やっぱ言いそうにないんでしょうね、そういうことを。」
小峠「うん、なんかそれは不思議ですね」
植竹「はっはぁー。あの面接のネタもそうかね?」
小峠「面接のネタもそうです。」
西村「あぁーそうですね。」
植竹「あー。」
小峠「2本目、キングオブコントで披露した2本目のネタもたぶんこいつボケフレーズは言っていないんです。」
植竹「へぇーー。」
小峠「はい。相手が、例えば結婚した相手がパナマ人・・」
植竹「ハハハ(笑)。」
小峠「・・っていうのもボケてないですよね。」
西村「そのキャラは事実を言っているだけですからね。」
小峠「コイツは本当にパナマ人と結婚したっていうんでボケてないんですよ。」
植竹「あぁあぁあぁ」
小峠「で、僕が『お前まだブチ込んでくるのか!』っていうので、あの笑いが起きるっていうか『おまえおかしいよ』って指摘しているというか」
植竹「あの『ブチ込んでくる』っていう言葉の選択が上手いなぁ。」
小峠「あーそうですか。」
植竹「うん、あの『ブチ込んでくる』って言葉じゃないと面白くないんだなぁ。」
小峠「あぁーー。」
植竹「そこはかなりこだわっているでしょ?」
小峠「そうっすね。あのー、細かいですね僕は多分。人が誰も言わないようなのを選んでますね。」
植竹「選んでるでしょ」
小峠「はい」
と話していた。
2009年8月21日(金)に放送されたラジオ日本の「水道橋博士のラジカントロプス2.0」において浅草キッドの水道橋博士さんがダウンタウンの松本人志さんについて語っていた。同年代のお笑い芸人として松本人志さんを横から見続けていた水道橋博士さんが考える松本人志論は特筆すべきものがあります。お笑い好きは必見です。 | ![]() |
■会話をしている人物
水道橋博士 (お笑い芸人 / 浅草キッド)
植竹公和 (放送作家)
植竹 続きましてね、松本人志論、行きます。あのー、まずダウンタウンの漫才ってのを初めて見た時、率直にどう思いました?
博士 例えば、たけしさんやさんまさんやタモリさんっていうのは、僕らの世代で言えば王・長嶋・金田みたいに見えると思うの。芸能界に入った時に。
植竹 うん
博士 あーもう、これは大スターであり敵いようがないと委縮すると思うんだけど・・。ダウンタウンって今で言うイチローを見るような感じ・・
植竹 あー
博士 ・・が、確実にあった。
植竹 はぁー
博士 だから、そのー、『ガキの使いやあらへんで』を・・・ってか俺こういう話も一切したことないのは40歳までダウンタウンからの、の番組からの仕事ってのは全部断ってたの。
植竹 へぇー
博士 それは、何回か仕事の依頼はあったけども、その、臣は二君に事えず(注:忠臣は二君に事えず/忠臣はいったん主君を定めたなら心を変えて他の主君に仕えたりはしない。)みたいな気持ちがあって
植竹 ふふ(笑)あんあんあんあん
博士 ホントに・・
植竹 操を守ってた
博士 うん。ホントに凄いと思っているから、こそ、そこで奉仕してはならないっていう気持ちがあるからその仕事は受けないって感じだったけど、もう40歳過ぎて、それこそ30代くらいで自分はその、シーザー(注:カエサル/古代ローマ皇帝)じゃないみたいなところで降りている気持ちはあるし、凄いことは凄いんだってことを言いたい気持ちもあったから、これはもうオープンにするようにしたんだけど
植竹 やっぱ竹中労(注:問題作を数多く世に送り出し気鋭のルポライター)だなぁ。ルポライター気質だなぁ(笑)。うんうんうん。
博士 でもね、ホントにダウンタウンが売れて、売れだした頃に、その、たけしさんが『今ダウンタウンって凄いのか?』って飲みの席で言った時に、このー、取り巻きの人たちがみんな『いやぁ全然、全部たけしさんのモノマネですよ。』みたいなのをこう言っているのを聞いていると『全然違うよ』ってホントにもう、もう叫んでましたね。
植竹 あの僕も1989年にラママのスペシャルってのをやったんですよ。池袋の、池袋のサンシャイン劇場で。
博士 うん
植竹 で、ゲストにダウンタウン、と今田耕司、東野
博士 うん
植竹 を呼んだんですが、いやぁそん時に見た漫才ってのが今まで見たことがない漫才・・・なんか宇宙人襲来みたいなさ(笑)。すごいショックを受けました。でセンスがさ、ちょっとー、大阪じゃないですよ
博士 うん
植竹 ね?だけど、あの浜ちゃんがベタにバンと突っ込むから割と分かりやすくベタに見えるんだけど、やっていることはホント パルコ劇場でやっているような。・・結構都会的な発想のネタだよね、アレ。都会的っていうか・・
博士 何かね、範疇(はんちゅう)が・・・その後ダウンタウンが作るコントとか見ても、そのー、20年掛かっても誰も追いついていない感じがするんですよ。
植竹 あーそっか。
博士 そのー、まぁ今まで発表してきた週間単位であの、フジテレビでやってたやつなんかと比べても
植竹 うんうんうん
博士 他のコント番組でもアレを超えているものは無いって思うし、グラフで言えば波線がある
植竹 うん
博士 ちょっと飛び抜けている感じ?
植竹 うんうん
博士 ・・が自分の中には常にあってね。・・それ、マッスル坂井っていうプロレスラーで、その劇作家みたいな才能のある人がいるんだけど
植竹 はいはい
博士 その人がバラエティに出た時、『バラエティってのは強い奴が笑わせるんだ。』っていう感覚を言うんです。
植竹 ほー
博士 それはパワーオブバランスで強い奴が笑わせるっていう感覚ってのはバラエティに出ている人なら誰にでも有ると思うの
植竹 うん
博士 たけしさんが話せば笑わなければならない、っていう、感じ?
植竹 あぁー、あるね、あるね。
博士 もあるし、それがホントは強さなんだよっていうのは・・・ってか、笑いってのは面白さじゃなくて強さなんだよっていうのはテレビの世界に絶対的なルールで有るんだけどあまり語られないんですよ。
植竹 うんうんうん
博士 だけどダウンタウンも純粋に、新人の時から、それは積み重ねのキャリアの中で強さって重ねていくんだけど、もう一年目の時からホントに強いんですよ。
植竹 強いよね
博士 見てて、その。・・・自分が『ガキ使』を見だして、最初のうち漫才をやりだして、そっからフリートークに変えて数週経った時、もうこれ桁違いだと思った。
植竹 うーん
博士 もう全然。全然もうコレ敵う訳がない。・・・だからこそ自分の中で漫才をやる時には入念に書き込んだものをやり、テレビに出た時にはそういう・・なんだろ。うーん、猛獣使いみたいな役割をやろう、みたいなことで。その・・・例えばそのマッスル坂井ってのは汁レスラーを使って、弱いレスラーを使って演劇的な展開をするんだけど、
植竹 おお
博士 弱いことを前提に、その、劇を、プロレスを創っていく、劇空間を創っていくのね。
植竹 ほうほうほう
博士 だからダウンタウンなんかを見ると、自分の、このポジションとしてやるべきことって何かってのを、ほ、本当に強いよこの人って分かっちゃうんだよね。
植竹 うん
博士 その、イチローであることって、モノが違うよこの人
植竹 孤立しているよね、完全に。
博士 うん。もう違う。松本人志は全然メジャーリーグであり・・そのなんか、よく、あの才能を過剰に褒められている説みたいなの、常にあるけど全然俺、見合わないよって思いますもん。
植竹 あのー、さっき言いましたように、たけしさんのDNAってのがさ、博士とか太田くん(注:爆笑問題の太田光)とかあると思うんだけど、松本くんってのは無いでしょ?
博士 もうね、たけしさんの影響下にあって、あのー、発言しているんではなくて、『放送室(注:2001年~2009年にTOKYO FMで放送されていた松本人志のラジオ番組)』ってラジオを俺はずっと最初っから最後まで全部聴いてたけど
植竹 うん
博士 もう本当にライオンは同じことを口にするんだって思うほど、やっぱ似ているんだけど影響下では言っていないね。
植竹 そうだよね
博士 イズムの中では全然言っていない。ただ発想が同じになっていくってのはよく分かる。
植竹 うーん
博士 それは君主論だとか天才論みたいなところもあるし、きっとやっぱ大きいのは、その、貧乏っていうものの・・
植竹 あー
博士 ・・この創っているお笑いの雰囲気ってのは大きいなって思うけど
植竹 あぁそうか
博士 その生い立ちみたいなところでたけしさんは足立区出身でっていう、まぁ松本人志は、えー、尼崎出身でっていうとこで、そこで見てた風景とかそういうものの共通項からお笑いが生まれていくっていうか、お笑い意外に武器がなかったからこそ、その、貧者の剣であったみたいなところの、共通項が、その、若くして王にしたあと、同じ発想をさせるんだなと思うことはあるけれど、影響下にいるとは思えない。
植竹 だよね。でほら、あのー、松本くんがよく紳助さんを尊敬しているって言うけど、紳助さんのDNAでもないでしょ?
博士 うん、紳助さんは聴覚的な笑いってのを・・・松本さんもそういう例えをするけど、天才性のある、今やもう、テレビの王様になっていると思うけど、そーいう能力があるってのはよく分かるけど、そのね、造形的なお笑いのセンスみたいなところだから・・
植竹 うん
博士 例えばその才能を証明する時に、彫刻を彫れるかっていった時にパッと才能のある人と無い人と分かるじゃないですか。
植竹 うん、ハッキリわかるね。
博士 これ、絵というよりもっと難しいじゃないですか。
植竹 うんうんうん。
博士 そういう意味の彫刻性があるというか、造形的なもう絵が見えている感じってのが松本人志の笑いってのは常にあるし、そこに帯びているペーソス(注:悲哀、哀愁)みたいなのもあるし・・・やっぱちょっと、並みじゃないなって思うし。
植竹 そうだよなぁ
博士 あのー、筒井康隆の短編なんかに影響を受けているのかなとか思うのね。
植竹 まぁ、それ例える人いるよね
博士 いやだけど、筒井康隆の短編の、その新潮文庫でずっと出た頃の『熊の木本線』とかあの辺のずっと似ているモノって沢山あるんだけど絶対読んでないのね。
植竹 読んでないでしょ。そりゃそうなんだよ、恐らく。
博士 絶対に読んでない。
植竹 そこがさ、どっからあんな発想が生まれるのか・・
博士 だから漫画家になったって成功していると思うのね。(注:松本人志は小さい頃、漫画家になろうとしていたと語っている)
植竹 うーん
博士 そーいう、ギャグ漫画家になったとしても。だからそういう事で語れて、演じられて。だからこそ映画監督になるべき人だと俺は思っているね。
と話していた。
【あわせて読みたい】 水道橋博士が語る「今までの人生で一番おもしろかった出来事」
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