戦場カメラマン・渡部陽一が語る【最大のライバルとなったイラク戦争のガイドさん】

23:42

2013年5月1日にTBSラジオで放送された「荻上チキ Session-22」に、戦場カメラマンの渡部陽一さんが登場。戦場でのガイドさんの重要性を説く渡部さんにチキさんが「今まで印象深かったガイドさんの話を聞かせてください」と。そうして答えた渡部さんのガイドさんのエピソードが素敵でした。
■会話をしている人物

渡部陽一 (戦場カメラマン)
荻上チキ (批評家 / 「αシノドス」「シノドスジャーナル」編集長)
南部広美 (フリーアナウンサー)



 
荻上 やっぱり今まで様々なね、案内してくれるガイドさんと会ったと思うんですけど

渡辺 はい

荻上 それこそ、すごい柔らかい人もいれば、ちょっとこの人失敗したと思う人もいたと思うんですが、印象深い案内してくださる方、ガイドさんの話、ちょっと聞かせて頂けませんかねぇ。

渡辺 僕が忘れられないガイドさんは、中東にあるイラク

荻上 はい

渡辺 2003年3月に勃発したイラク戦争

荻上 うん

渡辺 ニッポンの自衛隊も2004年にサマワという街に派遣された、イラクでは大きく・・ニッポンのメディアでも大きく注目された地域です。

荻上 うん

渡辺 ここで出会ったガイドさん、沢山いるんですけれども、その中で忘れられないガイドさん、僕とちょっと年下のガイドさんであったんですけども、当時まだ学生さんに・・・から社会人になる間くらい。職業もありませんでした。

荻上 はい、若い方だったんですね。

渡辺 でもガイドさんとして戦争、戦前、そして戦後、取材を共にリスクを背負いながら動いてくれた

荻上 うん

渡辺 現場で僕自身の危険を管理してくれて、戦争が始まる前、そのガイドさんの家族みんなが無事でありますようにということで、みんなで防空壕を掘って家族が無事であるように危機管理をみんなで・・・防空壕を掘ったんです。

荻上 うん
南部 うん

渡辺 戦争が始まり、戦争が終わり、再びバラバラになっていたそのガイドさんの家族に出会った時、皆、戦争を生き延びていたんですね。

荻上 はい

渡辺 その防空壕ももちろん身を守ってくれた。何よりも嬉しかったことは、その共に血を見ながら生きてきたその僕のガイドさんが仕事を手にしていたんですね。

荻上 おー

渡辺 その仕事というのが・・・カメラマン。

荻上 カメラマン

渡辺 仕事がなかったあのガイドさん。若きガイドさんが、一緒に僕と共に前線を動きながら取材をし、撮影し、撮った写真を転送して新聞社に送っていく。

南部 うん

渡辺 その仕事を横からガイドさんとしてサポートしてくれながらも、仕事を見ていて、カメラマンという仕事を体で覚えてきていたんですね。

荻上 はぁー
南部 うーん

渡辺 そしてガイドさんではあるんですけども、カメラマンとして今イラクの通信社で毎日配信しているプロカメラマンになっている

荻上 スゴイですね
南部 うーん

渡辺 今僕にとっての最大のライバルの1人です。

荻上 おーぉ
南部 はー!

渡辺 そのガイドさんが、やっぱり共に育ち、2003年からもう10年が経ち・・

荻上 あぁーそうですよね

渡辺 そのガイドさんも結婚したんですねぇ

荻上 あぁ、家族がまた増えたと

渡辺 やっぱり時が経ち、10年という歳月で、同じライバルでありながらも家族を持ち、そして僕にとっても家族のような、弟と言えるようなガイドさんが忘れられませんねぇ

荻上 うーん

南部 そのガイドさんにとっても、すごい、渡部さんとの出会いが人生を変えたわけですよね、ある意味ねぇ

渡辺 お互い、やっぱり、親友であり、家族。

荻上 うん

渡辺 やっぱり、出会ったり別れたりする時に、泣くんですねぇ。涙してぇ・・・泣くんでですねぇ。


と話していた。
 
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