小島慶子が語る「局アナ時代ずーっと苦しかった。職業選択を間違えた。」

23:32

2010年5月25日にTBSラジオで放送された「小島慶子 キラキラ」のオープニングトークにて、6月いっぱいでTBSを退社することを発表した小島さんが1年前にオープニングトークが始まった経緯と、一昨年前に亡くなった後輩の川田亜子アナウンサーについて語っていた。
■会話をしている人

小島慶子(TBSアナウンサー)
神足裕司(コラムニスト)



小島 オープニングトークはね、無かったんです最初。

神足 ねぇ

小島 多分それはね、『オープニングトークは出来ないだろう』と思ってらっしゃったんじゃないかと思うんですね。割とスタッフの方も。

神足 うん

小島 私昔『アクセス』って番組やってましたけど、それでいわゆるオープニングトークみたいな一人で喋る、一人とか自由に喋る時間もなかったですし、あのー、途中でコメントを差し挟むくらい。あと久米宏さんと御一緒させて頂いていた時もアシスタントでしたから、相槌打つぐらいだからね『小島はあんまり一人で喋りたいこととかも特に無いだろうから、局アナだし。だから取りあえず段取り踏んで。』っていうことで組んであったんだと思うんですよ。

神足 そう

小島 でもね、私ずーっとねぇ実はねぇ、ずーーっと・・フフフ(笑)

神足 ずっと!

小島 ずーっと10年以上ずーっと、アナウンサーになってからずーっと、あのー・・・話したいことが沢山あったんです。

神足 はい

小島 だけどアナウンサーは自分が話したいことを話す職業ではないので『あぁ職業の選択を間違えたな』ってことをかなり早い段階で気が付いて

神足 うん

小島 もし自分に言いたいこととか伝えたいこととか、人と会話したい、個人として人と会話をしたいっていうね、立場で会話をするんじゃなくてね、パーソナリティで会話をしたいんなら例えばエッセイを書くとか、あの、雑誌の記者になるとか、テレビ局でもじゃあ例えば報道の記者になって、あーの、自分が実際に取材したものを原稿にするとかっていう方が、あーのー、もしかしたら私がやりたいこととは近かったのかな?って入社してすぐくらいから気付いてですね。

神足 ええ

小島 でもまぁ与えられたお仕事だから一生懸命やろうと思ったんですがあんまり上手くハマんなくてね、やっぱりその・・

神足 ウヘヘ!ハマんなかったんですか?(笑)

小島 まぁ我が強いものですからね、アナウンサー的に言うと

神足 あぁ、暴れ馬を制御するってことですよね

小島 まぁ人型ですからね、アナウンサーというのはね。自分の、自分の、えー、理解力と、えー五体・・・ね、容姿と声と技術を使って誰かの声を沢山の人にお届けするのがアナウンサーの仕事なので

神足 ああ

小島 私が何を考えているとか、私がみんなと何を話したいとかってことは、それはあの、余計なことだっていうのが原則ですので

神足 あれー、呼び名変わるんじゃないの?なんか、キャスターって人もいるじゃん。

小島 うーん、あの辺がねぇ

神足 アレは意見言っていいってことじゃないの?

小島 局のアナウンサーっていうことでいうと特にそうだし、まぁフリーの方であってもアナウンサーっていう立場、要するに私は、あのーまぁ、例えば批判があったりとか、えー、物凄く同意してくれる人がいる一方でそれは納得できないという人が、方がいるとしても『私は自分でなにがしかの、自分の名前において自分の発言に責任を取りますよ』っていう人と、そーではなくて『何らかの組織の代弁者として働きますよ』っていう人がいて、やっぱり性質が違うと思うんですけど仕事の性質が、で私はどうも後者の仕事にあんまり向いていなかったので(笑)、ずーっと自分の中に、そのー、自分がラジオで育ってきたこともあるんですけど、

神足 はいはい

小島 世の中と言葉で繋がって、もし・・もし万が一、私が何か喋ったことで気が楽になったりとか、まぁちょっと笑って『今日はまぁ面白いことがあったからいいか』って思えたりとか、『世の中捨てたもんじゃないな、とりあえず明日は頑張るか』と思えるとか、いうことが出来ればいいなぁって学生の頃から思っていたんですね。

神足 うん

小島 だからずーっとそういう何かね、あのー、願望っていうの、あったんです。そういうことをやりたいって。私がかつてあのー、家庭も地獄で、学校も全然馴染めなくってどこにも行き場がなかった時に、夜つけたラジオとか夢中で見たテレビに唯一救われたことがあったように、もし自分も、仕事においていつか出来たらいいなぁって、誰かの力になれたらいいなぁってずっと思ってきたんですけど、正直局のアナウンサーってそういうことする仕事ではないので

神足 そうですねぇ。僕も初めて、身近になって初めて知りました。

小島 フッ(笑)。局のアナウンサーは誰かの気持ちを、その向こうにいる沢山の人に伝える配達係なので、あのー、そこがやっぱりすごく、なんだろうな、苦しかったんですね。

神足 うーん

小島 で去年の頭にね、この番組を始めて『あぁ初めてそういう事をやれるのかなぁ』と思ったらそーいうフォーマットになってなかったの。でね、苦しかったんですよ。

神足 あ、番組が?

小島 そーいう仕組みになってなかったの。つまり私が自由に喋る時間ってのは無かったの。あの、『コレやったら次コレやってください。その次コレやってコレやってコレやって。』って全部決まってたの。

神足 うん

小島 で、メールご紹介する中でパートナーとのやり取りとかはあるけれど

神足 ええ

小島 自由に喋っていい時間って無かったんでね、『局アナのやる番組だからこれは当然だなぁ』と思ったんで、せめてその代りに、あのー、これは多分数人にしか気が付かないかもしれないし誰も気付かないかもしれないと思ったんですけど、その時その時で私が伝えたいことを、あのー、自分で選んだ曲に思いを託して曲をかけてもらってたんですけど、たぶんスタッフもそーいうことは知らなかったと思います。『小島さんただ好きな曲を一日一曲かけているだけだ』と思っていたと思うんですけど

神足 うん

小島 私なりに、あの、その時その時で『あぁこういうような事を世の中に言いたいけど、でも既にこの歌でそれは表現されているから、じゃこの歌かけよう』みたいな風に、あのー、かけてたんですね。

神足 うん

小島 だけど去年の5月25日に、どうしても自分で話したいということが出てきてしまって

神足 それは何でした?

小島 あのー。・・・まぁある話なんですけど。

神足 はい

小島 でそれをスタッフの方にですね、当日12時半くらいかな、『今日はどうしてもしたい話があるんです、リスナーの方に。だから曲もかけますけど曲の前後にちょっとお話をさせて頂いていいですか?』って。『ちょっと私が個人的に話したいことなんですけど』って言ったら、スタッフが『良いですよ』って言ってくれて、それで初めて去年の5月25日にこのオープニングトークみたいなものがですね、私の我がままで始まったんですね。

神足 はあはあ

小島 で、その後ですね、あの、プロデューサーと話しまして今日のように私がその時どうしてもリスナーの方に『これどう思う?』とか『こんな事があったんだけど、どうかなぁ』っていう風に話しかけたいこと・・・別に同意してもらいたいとか私の意見を受け入れてもらいたいとかじゃなくて、話しかけて共感する人もいれば違うと思う人もいるかもしれない。

神足 うん

小島 だけどその場でリスナーからの答えが声になって返ってくるわけじゃなくてもラジオってのは私は会話だと思っているので、『人に話しかける』ってことをやって行きたいんだけど良いかしら?っていう事をですね、プロデューサーの方にご相談したら、あのー、『いや実はやって欲しかったんです。』って仰ってですね。

神足 なるほど

小島 それは嬉しかったと同時に、あのー、何で言ってくれなかったのかなとも思ったんですけど(笑)。

神足 そりゃ分かんないよね

小島 うん、でもまぁそれは、あのー、そんな形でねぇ、偶然というか流れで始まったコーナーなので『丸一年か』と若干感慨深いですね。

神足 やりたいことがあったら『やりたいです』って言った方が良いっていうのは基本的なことです

小島 うん。だから言って良かったなぁって思って。




更に次のように語っていた。



小島 あのー、ただまぁそれから1年経って、会社を辞めることをね、会社を辞めることを決めましてね、あの、アナウンサーという職業は6月30日をもって私は辞める訳ですけどもね。まぁ去年の今頃、1年後にね、あの、自分がそーいう心境で喋っていることを全く想像する余裕もなくですね、毎日必死でバタバタ新しい番組をやってましたけれどね。ただまぁ最近思うんですよ、色んなぁ~辞めてったアナウンサーを見ているんですよ私。

神足 はい

小島 先輩でも後輩でも、色んな人が色んな事情で色んな・・感じで辞めってった。

神足 うん

小島 でも結構怖い顔をして辞めてった人が多かったんですよ。

神足 うん

小島 やっぱり、荷物をバーッとまとめて、あの、結構怖い顔をして辞めていった人もいたりとか、あとちょっと悲しげな顔をして辞めていった人とか、あとやっぱり複雑な思いを辞められてから吐露された方とかね。

神足 はあはあ

小島 まぁ中には物凄く、あの、辞めてね、普通にご活躍されている方もいらっしゃいますけど、辞める時というのは、皆さんやっぱり泣いたり怒ったり、あのー、色んなことがあったのを私も見てきているんでね。

神足 うん

小島 自分が今、そーいう辞める立場になって、『あぁ、あの人達ってのはこんな大変な思いをしてきたのか』って思うこともあり、一方で、『あぁ自分は思っていたよりも大変じゃないな』っていう。『あの方々よりももしかしたら幸せな形で辞められるのかなぁ』と思うこともあり、という中で、一人だけ、凄く幸せそうに笑顔で辞めていった人がいてですね

神足 うん

小島 うーん、その人はあの、全員のアナウンス部全員にお手紙とハンカチを渡してですね、全員のイニシャルをわざわざ入れてね、その人のイメージに合ったハンカチにね。あの、とても丁寧なお礼のお手紙も添えて、とても、なんだろな幸せいっぱいで、あの~辞めてった、ホントに笑顔を、素敵な笑顔を皆に見せていって辞めていった人がいて、その人のことは私は本当に忘れられないし、あの時の素敵なあの人のことをずっと覚えておこうと思っていてね。そのハンカチもやっぱり、すごく大事に使って、あまりに毎日うれしく使いすぎてね、ボロボロになっちゃったから捨てちゃったんだけど、

神足 フフフ(笑)

小島 ボロボロになり過ぎて、

神足 そうですよね

小島 だけど、取っておけばよかったなと思って。

神足 いやぁー

小島 もうネズミ色になってね、縁のレースもほつれてきちゃったんだけど、『やっぱり取っておけばよかったなぁ』と凄く悔やんでいるんだけど、まぁその代わり、あの人の幸せそうに辞めていった姿はずっと忘れないでおこうと思ってます。

神足 うん

小島 その人が、えー去年の、今日私がねオープニングトークをするきっかけとなった川田亜子さんです。

神足 ほう

小島 亡くなって丸2年が経ちますけど、あのーとっても素敵な方でしたよ。ね、まぁ去年も話しましたけど(笑)。・・・まぁそんなことを思い出しました。

神足 はい


と話していた。




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